諸用で京都に行ってきました。
嵐山の宿に泊まり朝の散歩で渡月橋方面に行こうと思っていたら桂川、中ノ島に「日中不再戦」と3cm位深く掘り込まれ、4m位の高さで石碑が堂々と建っていた。 107才で天寿を全っとうした清水寺貫主・大西良慶翁の揮毫。
安保法案が強行採決されようとしている昨今、裏に書かれている碑文を見てまたまたびっくりした。
先人の知恵、教訓を生かしてほしい!!!
『日中戦争勃発三十周年を記念し、日中不再戦の悲願をこめて、広く京都府市民の協力により、景勝の地嵐山に碑を建立した。
これは日清戦争から太平洋戦争を通じて、日本ならびに中国の人民がこうむった悲劇を、断じてくりかえさない決意の表明である。
同時に、いままた侵略勢力が横行している時、日本・朝鮮・中国・ベトナムなどアジア諸民族は固く団結し、再びアジアを戦場としない決意の表明である。
一九六八年七月 日中不再戦運動京都実行委員会』



嵐山の宿に泊まり朝の散歩で渡月橋方面に行こうと思っていたら桂川、中ノ島に「日中不再戦」と3cm位深く掘り込まれ、4m位の高さで石碑が堂々と建っていた。 107才で天寿を全っとうした清水寺貫主・大西良慶翁の揮毫。
安保法案が強行採決されようとしている昨今、裏に書かれている碑文を見てまたまたびっくりした。
先人の知恵、教訓を生かしてほしい!!!
『日中戦争勃発三十周年を記念し、日中不再戦の悲願をこめて、広く京都府市民の協力により、景勝の地嵐山に碑を建立した。
これは日清戦争から太平洋戦争を通じて、日本ならびに中国の人民がこうむった悲劇を、断じてくりかえさない決意の表明である。
同時に、いままた侵略勢力が横行している時、日本・朝鮮・中国・ベトナムなどアジア諸民族は固く団結し、再びアジアを戦場としない決意の表明である。
一九六八年七月 日中不再戦運動京都実行委員会』


